私と「東南アジア青年の船」の出会い―あれから5年、そして半年後。

いくつか「東南アジア青年の船(SSEAYP・セアップ)」に関する記事を書いてきているが、そもそもなぜ私がこの事業に参加しようと思ったのか、そのルーツである、「私と東南アジア青年の船との出会い」について今日は書こうと思う。

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出会いは5年、と半年前。

たしか大学にも慣れた1年の夏ごろ。どうやって今後の大学生活を過ごそうか、留学行きたいな、でもお金とかどうしよう、海外への憧れもあるけど、ちょっと怖い気もする。日本から離れたくないなー、旅行くらいでいいかな。なんていろいろ考えていて。マレーシア語科としては、やっぱマレーシア行きたいな~っと、ネットサーフィンとかで、「東南アジア 留学」「東南アジア 格安」「学生 無料 海外」「学生 東南アジア プログラム」とかそんな単語で調べてたら、ヒットしたのが『東南アジア青年の船』!

(そもそもなぜ私が東南アジア・マレーシア語を学ぶことにしたのかはコチラの記事で⇒「てかさ、なんでマレーシア語を学ぼうと思ったの?」―外大生の宿命

でもそのヒットしたときには、ざっくりページみて、募集期間と全然ずれてたし、期間も休学しなきゃいけない期間&時期だし、お金もまあまあかかるしで、お気に入りページには入れといたけど、特に見返すことはなく。



何気ないイベントでの再会

それから少しして、大学1年のときの秋に、マレーシア語科の先生から、こんなイベントがあるから行きたい人は申し込んでいってきなさいって案内されたのが、「日本・ASEANユースリーダーズサミット(以下、YLS)」の「文化交流プログラム」。そのときは、これがあのときみた、「東南アジア青年の船」のプログラムの一部だとは知らず。オリセンに行って、日・ASEAN各国のショー見て楽しんで、確かあの日はこの事業の既参加青年の紀子さまがいらしてたのかな?なんか会場厳粛な雰囲気で驚き。ショーのあとは、各ブースごとにお菓子が食べれたり、民族衣装の体験ができたり、楽器の演奏できたりして。それはそれは楽しかった。マレーシア人を見つけては、学科の同期と覚えたてのマレー語で話しかけてみたりして。(ここで出会ったブルネイ・マレーシアの参加青年と5年後に再会することになるとは思いもよらなかった!)



YLSにローカルユースとして参加!

それから、バイトに明け暮れたり、大学生にありがちな病み期を迎えたり、いろいろあったけれど、ふとマレー語をまたちゃんとやりたいな、東南アジアもっと知りたいな、と突然目覚め。2015年夏に思い立ってマレーシアへ。マレー語の楽しさを再確認。そこからちょっと真面目に。もう一度「留学 マレーシア」「マレーシア 格安」とかいろいろ調べるようになる中で、ふたたび『東南アジア青年の船』がヒット!そのころ秋で、もうその年の参加青年の募集は終わってしまっていたけども、東京で「ローカルユース」なるものを募集していると知り、すぐさま応募。後から聞くところによると、その年のローカルユースは2倍くらいの倍率になるほどの応募があったみたいで(100人も募集してるから全員いけるのかと思った)(翌年は応募がそもそも少なくて92人とかしかローカルユースいなかったからたまたまそういう気運の年だったのかも)、ローカルユースって気軽な雰囲気と思いきや、優秀な人ばっかでびびってた。英語でのディスカッションなんて、外大生のくせして英語の授業とか取ってなかったからやったことなかったし、ましてや2泊3日も。ほんと自分の英語のできなさに悔しくて泣けたし、ほかにもいろいろ悔しくて同じローカルユースの子と夜通し語って泣きあった笑。と、同時に、負けてられないな、次はローカルユースじゃなくて、絶対に参加青年としてこのプログラムに参加したいと思って。



仲良くなったブルネイの参加青年

YLSで仲良くなったブルネイの参加青年がいた。ちっちゃくてかわいい女の子。もともと席が隣で、彼女が部屋に提出課題を忘れたっていうから一緒に取りに行ってそこから仲良く。マレー語と英語をお互いmixで話すから、とても話しやすかった。で、その当時ブルネイへ短期研修に行くことを考えてるって話したら、いっぱい他のブルネイの参加青年を紹介してくれて。その時感じたブルネイ人の印象はめっちゃフレンドリー!「こいつ日本人なのにマレー語話してくんだよ、まじおもしろい」ってどんどん参加青年を紹介してくれた。



それから半年、空港にて応募書類を

ほんとにブルネイに行くことにした私。と同時に、日本参加青年になりたい!と確固たる気持ちをこの時期までに作り上げてたので、1月にあった募集要項開示からすぐ応募書類を整え、2月1日の応募開始の初日に空港で応募書類をだすことに(帰国してからだと間に合わなかったから)。空港の郵便局がしまっていて、いくら分の切手を貼ったらいいのかわからず、あるだけの切手を貼って応募。ちゃんと届くか凄く心配だった笑。

それから飛行機にのって、いざブルネイへ。ブルネイって小さいから、まさかの町中でYLSで出会ったブルネイの参加青年に遭遇したりして。「なんでブルネイついたって言ってくれなかったのさ!!ごはん行こう!!」ってセッティングしてくれて、なんと10人以上のブルネイ参加青年と再会。そのとき、「今日は私もBPY(Brunei Participating Youth:ブルネイ参加青年)みたいだね!」って話をしたら、『ちがうわよ、あなたは次のJPY(Japan Participating Youth:日本参加青年)だよ!!』って言葉をくれて。それが凄く嬉しくて、皆の期待を裏切らないようにしよって試験がんばろうと思った。



晴れて日本参加青年に。―半年後、いま。

それから、皆の言葉を励みに、試験を潜り抜け、晴れて日本参加青年に。この事業の一員になったことで、2015年のYLSだけじゃなくて、2011年のYLSで出会った青年たちとも再会できて、新しい出会いもたくさんあって。船から降りた12月から、もう半年、6月になってしまった今。かなり尻すぼみな文章だけど、そんな感じのが私と東南アジア青年の船との出会い。覚えているうちに、次世代のためにも、自分のためにも、書き留め!!

【東南アジア青年の船】―選考情報(募集・応募~最終選考)総まとめ
【東南アジア青年の船】―選考情報(募集・応募~最終選考)総まとめ
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